ヒデスのブログ

人生33年目にして再スタート rの住人を目指す愚か者の記録

強い人間になりたい  一人復讐心に燃えるヤバい奴

前の記事で精神を安定させることについて私なりの見解を勝手ながら話させて頂きました。

精神を安定させるには自分の軸となる人世の目的と目標を持つことで、それは心から思うことであることで潜在意識に働きをかけ、やるべきことをルーティン化していく。

そうすることで潜在意識が現状の自分と目的に進んでいる自分、目標を達成した自分との乖離した部分を埋めようと働きをかけて、無意識のレベルでそれを達成しようといくことができる。

その状態になれば精神は安定と言うか、自分のゾーンに入りもはや感情などが入る余地がない状態になる。

これが成功するために精神を安定させる方法であると思っていて、私もそうなるよう日々潜在意識に働きをかけられるように努めています。

これは行動あるのみです。

そしてこのことについては自分のやるべきことについての、言わばモチベーションをコントロールする精神安定方法でした。


ですが、やるべきことに全ての時間を割ける人はその時点で少し成功しています。

そのやるべきこととは自分の理想を叶えるものだったり、はたまた副業だったり色々とあると思います。


今回は本業の仕事環境、学校生活での日常での精神安定の方法について触れたいと思っています。
私目線で非主体的な私の中での個人的な内容なので、まったくそう思わねければこの記事は読まないことをおすすめします。

私は今まで非主体的な人生を歩んでいきました。
その為、学校生活は行きたくないのに無理やり行かされている、そうずっと思って学校生活を過ごしていて、はっきり言って学校生活(小、中、大)はほとんど楽しい思い出がありません。
確かに友達と遊んで楽しい思い出もありましたが、それ以上に嫌なことがあってその良い思い出も上書きされてしまった感じです。

なぜ非主体的だったのか?
小学校低学年の私はとても活発で元気に満ち溢れていました。
その世代まではみんな仲良くして遊んでいるものですが、そこからだんだんと学年が上がってくるにつれて子供は自我を明確に持ち始めます。

ですがまだ客観的思考力に劣るため自分中心に物事を考えがちで、自分の気に入らなことに口を出したくなります。
自然と人の悪口を言ったり、いじめに発展したりとにかく人間の嫌な所が見え隠れし始める時と言えるでしょう。

私は小学校3年生ぐらいまでは楽しかった、しかしそこから同世代に馬鹿にされたり、いじられたりされることがあり、そこから次第に目立つことを恐れて静かにするようになります。
それは幼い頃の私は同世代より体が小さく、また目立つほど色白で、成長するにつれてプクプクと太っていたからです。

その為私は人から目立つと嫌味を言われたり、いじられる、だから隠れるように生きていれば楽だと。

そこから物事の捉え方に否定的で、そんな生き方の自分に当然自身が持てず、より非主体的な生活を送っていく。

そんな生活の毎日だからいつも何か不満を感じて生きていて心から喜べることもない。
親も自分が男の子であるのに、もじもじしている自分を見て「もっと男らしくしなさい、堂々としていなさい」などといったことを自分に言うようになります。

当時の私はがんじがらめでした。
そしてストレスがいつも溜まっていて、反抗期の時には幾度も親と喧嘩になります。
特に高校の時が親との口論に絶えない日々で、今思えば地獄だと思います。


しかしそんな毎日と自分に嫌気がさして爆発する時が来ます。

大学時代にはそれまでの学生活とは違い自由がきくことになって、それにより自分の心の叫びに答えようと思いました。
ずっと今まで目立たず、おとなしくあろうとした弱い自分を払拭し、これからは強い自分であろうと。

その負の感情とも似た思いで私は大学のサークルにあった極真空手部に入部します。
そう、肉体も心も強くなって新しい自分として生まれ変わり、今までの人生をここから塗り替えてやると。

現実と理想は一致しないことが多い。

日々空手のトレーニングで先輩にボコボコされて心が折れそうになる、なんで自分はこんな辛いことをしているのかと自暴自棄になりそうになる。
結局、勇気をもってたたいた空手の門も非主体的な気持ちで練習に取り組むようになる。

ただ空手の練習と並行して個人的にやっていた筋力トレーニングには並々ならぬエネルギーを注いでいた。
2日に一回の間隔で上半身と下半身は日を分けて2時間、長いときは3時間トレーニングをしていた。


筋力トレーニングと言っても、ウエイトトレーニングをしながら合間にチューブを使ってパンチとキックのトレーニングをしたり、有酸素運動無酸素運動が混ざったトレーニングをしていて効率の悪いメニューでした。
筋トレ自体の内容はダンベルで腕周り、胸を鍛えて、腹筋運動、ジャンピングスクワット(60回3セットやった記憶)など

しかし、自分はそんなに知識もないので見よう見まねで行い、何かにとりつかれたように鍛える虫と化していました。

きっと今までの弱い自分を変えたいという強い思いが爆発して、それが止めどないエネルギーとなって自分を奮い立たせていたのだと思います。
そして何より自分は若かった、だからかなり無茶なトレーニングに耐えられたのだと思います。

あまりに過度なトレーニングをして背中を痛めてしまい、ペンを持つこともままならない状態になってた事は何回もあります。

この時の自分はポジティブな気持ちで取り組んでいたのかと言うと、そうではなく限りなく負の感情が先行してただひたすらに鍛えていました。

ただ大学生の時はまだ親元で生活していて、自分の部屋にはエアコンがなかったので、夏はサウナ状態で扇風機をガンガン回して汗だくでトレーニングしてました笑


そんな生活を続けて3ヶ月ですぐに肉体に変化が訪れました。

いつものように空手部でトレーニングをしていると、先輩に自分の変わってきた体つきに驚かれました。
確かに鏡で見る自分は厳つい体つきであり、心なしか顔つきも変わっていたように感じます。

そこで更にテンションが上がりより一層に激しいトレーニングをしていきます。


大学時代はバイトも始め、夏休みには週5でバイトをしています。
最初こそ定時(08:00~17:00)に帰ってましたが、だんだん勤務時間が長くなり8時から19時近くまで仕事をしていました。

バイト先から家は近いので、仕事が終わって家に着いたらすぐにトレーニングを開始して、19時から21時過ぎまでやっていました。

学生なのに勉強よりバイトと筋トレの比率が大きかったです。

当然、勉学に支障をきたし始めたので、勉強にもそれなりに取り組むことにはしていました。

日々の空手のトレーニングで先輩からのパンチを腹に受けるトレーニングをしていたので、だんだん打たれ強くもなってきました。
この腹パンのトレーニングのよる防御力の向上は筋トレだけでは絶対養うことはできないので、ボディーを根本的に強くしたい人には絶対やった方が良いです。
自分でお腹を殴るだけでも効果あります。

空手に置いては大学2年に入って秋ぐらいに辞めました。
憧れて入った先輩が就活期間に入って来なくなってしまい、モチベーションも下がり更に留年している先輩ともめた為。
ですが、逆に開放された気分になってより筋トレに取り組めたと思います。

バイトは4年間同じ所で勤め続け、筋トレ生活も続けました。
バイトも筋トレも風邪を引いて熱があっても続けました。

4年生最後の年末のバイトの忙しいときは、31日に39度の高熱が出てしまい、休憩時間に家に帰って昼をとるも親に止められましたが最後の22時まで仕事をやり抜きました。
スーパーのバイトは年末になると連続勤務と長時間勤務が続き、バイトと言えども激務でした。
正直今の仕事よりもハードで大変でした。
店長も今の上司よりはるかに怖く、見た目は背が高く茶髪交じりで、芳賀健司に似ていて仕事ばりばりパワハラな人でした。

自分が担当していた食品コーナーでそこのチーフがよく怒鳴られていましたし、自分も雑巾を投げつけられた事があります。(地面に)

自分はレジ打ちとか人前に出て仕事をしたくないので裏方の仕事がしたく、裏で品出しやポップ作り、発注などしていました。
しかし、ほどなくして店頭にて商品を安く販売すると言う、朝市というのを開催することになり、店頭に出されることになりました。

大きな声で「いらっしゃいませ!」を言わなければならないので苦痛でした。
テンション低くいると店長に怒鳴られるので、それが怖くて無理して大きな声を出していました。

この大変なバイト生活があったことで今の仕事は体力面ではまだましです。


色々と話が飛んでしまいました。

とにかく私は弱い自分を変えようとして奮闘し、その中で人生も苦しみがあったりして疲弊していきました。

社会人になってより精神的に辛くなり、うつ状態になりかけたて精神科に行って診てもらったことあります。

社会人に10年目を迎えましたが、ほとんどが苦しいことばかりで、心から喜べたことがないに等しい。

それでも何故、仕事を辞めずにうつにもならずまだ働ける気持ちがあるのか?

それは常に自分を強い人間にしたいと言う執念と、もう一つは自分と対話をしていたことにあります。

自分を強くしたいという執念は筋トレのトレーニングに注がれました。

筋トレは今も続けています。
筋トレの種類は減らして、武術のトレーニングを主にしている所もありますが。


このトレーニングをしていたことが何だかんだで心の支えになっていて、取り合えず続けていること物があることで自信になっていたんだと感じます。

人によって様々かと思いますが、自分には二人の心を持った自分がいます。
それは簡単に言うと陰と陽の心の部分を持った自分でしょうか。

うつになったらトレーニングなんてできないですし、辛くて死にたい自分がいても、今日は何のトレーニングをしようか?ともう一人の自分が考えているので、この二つの人格の気持ちがアンマッチを起こしている間は大丈夫です。


筋トレをしなくなっていたら多分、自分は社会不適合者になっていたと思います。

ですので人は生きる上でなにか続けられることがあれば続けた方が良いと思います。
その続けるものは、自分が情熱や劣等感からでもいいのでエネルギーを注いでいけるものがいいと思います。

それが心の土台となり、今後の自分を潜在意識から本来あるべき自分へと変えていきます。
そしてそれは途中で派生して変化してもいいと思います。
とにかく続けることに意味があります。

そしてそのうちそれが歯を磨くように習慣化されます。

モチベーションが良かろうが、悪かろうが続けれるようになります。

ここでひとつ自分自身に対する精神力と忍耐力がつきます。
どんどん成長させて理想へと近づけていけるはずです。

最後に自分との対話ですが、これは本当に辛いときには私は自分自身と独り言のように話をしています。

それは感情的になって理性がきかなくなっている自分を、客観的に見てどうするべきかを自分自身で考えて声にして話しています。

自分を救うのはだれでもない、自分しかいません。

その自分を自分自身で崩壊に誘っては絶対にいけない。
だから最後の砦として自分に話をかけて、無理しなくてもいいし、自分で自分を慰めるときもあっていいはずです。

心が回復するのを待つ、回復したら自然と動ける。

この何か続けることと、自分との対話で自分の心に芯をもって生きることができていると、自分自身の経験から理解しています。


今回も長文で終始まとまりがなく、読みづらく申し訳ありません。

ただ現在、本当に苦しくて辛い毎日を送っている人がいたら、こんな弱小な私でも少しでも役に立てればと思っています。


私の文章は乱文で内容にも面白味もなく、つまらないかもしれません。


でもブログは続けていきます。

自分がいつ死ぬかもしれませんし、悩みは多い、色々と思考錯誤していきそれをここに記録として残していきます。


ありがとうございました。