本来の自分を知るためのプロセスとは 個人的な見解
前の記事で筋トレを中心としたトレーニングをしていると言いました。
そのトレーニングは色々と内容を変えたりして行い、もう15年以上続けています。
これが優いつ自分で誇れる所(しょぼい)
でも15年以上続けてきているものがある人って、どれくらいいるのか個人的には気になります。
これを時間の無駄だと思う人もいると思います。
でも1つでもエネルギーを注いでることを習慣化できると、他のことでも何かやろうとするときも習慣化しやすくなります。
物事を成就させたり、結果を出すには習慣化させることが必要不可欠であり、成功における原理原則とよく言われています。
何か新しいことをするときは慣れていないのでエネルギーを多く使います。
ですが習慣化してしまえば、だんだんと要領を掴み効率的にできるようになると感じます。
その効率化を計る時に思考を使うので脳を刺激することにもなり、物事を分析する能力が鍛えられると思います。
物事を客観的に見てどういう特性があるかなど自然に考える癖がつきます。
このことは私の体験談で話させて頂いております。
色々考えはあるかと思いますがお付き合い願います。
自分は筋トレ以外にも習慣化していることがあり、ストレッチ、瞑想、武術の鍛錬、健康に対してルーティンとしている所などがあります。
これらをする時に最初に始めた頃よりレベルが上がり、より効率的に内容の質も上がっています。
分かりにくい文章で申し訳ないのですが、何かエネルギーを注いでいけることを習慣化する、そうして客観的思考力も養えるものと思います。
私はこの習慣化によって得た副産物である客観的思考力が人に対してよく働くようになります。
それは嗅覚のような感じで、その人の第一印象と何気ない行動から、その人の人間性や人格がすぐに頭に浮かび上がってきます。
自分の働く環境では色々な人がいて、異動も多く色々な人を見てきたので人を見ることの目を養えたのもありますが、この人に対する分析の思考がよく働き、人それぞれがどんな行動をするのか予め予想がつき、悪い癖ではあるのですがそれぞれの人がとる行動を予想して自分は行動する癖があります。
そして人がとった行動に対して一つ一つどうしてこういう行動を起こす要因になったのか?、を筋道立ててロジカルに説明ができるので同僚からは驚かれます。
ですがこれが災いして色々と自分の心を狂わせます。
それはこの人に対する分析が自分でコントールできないのです。
自分の意図せずに分析の思考が働いてしまい、その人の対する分析の結果が自分の嫌いとする所があると、それだけでとても嫌な気持ちになり勝手に心が憂鬱になってしまいます。
これで自分が嫌とする所がある人には過剰に反応してしまいに、一人苦しみ仕事を辞めたくなるということが何度ありました。
ですが、これが面白いことに同じように嫌な人に反応することが習慣化されると、そこに客観的思考力が働いて自分がどうあるべきなのかを答えが導き
出してくれるのです。
そして更に精神は自分の奥深くの意識、潜在意識へとリンクさせて心の声と現状の自分の姿のギャップを埋めるべく思考を働かせます。
その時の自分の状況によって違いがありますが、有効な対策を自分に囁きます。
独り言のように自分が自分に話をして問題解決を計り、今後のあり方を導き出す。
自分一人で自分と会話をすると言うと変な奴と思われるかもしれません、私も最初は頭がおかしいのかと思いました。
しかし自分に話かけることで自分を冷静に判断させたり、自分を心から愛そうと思い、更には理由もなく自分を信じることもできるようになりました。
だからどん底な思いに感じていても、必ずもう一人の自分が話をしてきて救おうとするので、完全に鬱になり精神が崩壊するような事態は免れているのです。
前に私には二人の自分がいると言いました。
多重人格とか二重人格などではなく、陰と陽のような二つの相反する心があり、誰しもあるもので特別なものではないです。
この相反する心の声を聞き続けていることで、本来あるべき自分を教えてくれます、世の中の勝手な価値感に縛られずに自分が理想とする生き方を。
自分の声を聞いていなかったときは、今いる会社が待遇やライフワークバランスが良くない為に転職をしようと活動していました。
そして両親が喜び、世間体としても良い会社に勤めたいと考え、転職の準備に備えまた活動もしていました。
しかしその裏では、会社に勤めると言うことの不満があり、早く解放されたいと思っている自分がいました。
そんな表向きの自分と、本心からの自分がチグハグしていて、自分は一体何者なんだ?といつも悩んでいました。
会社に勤めたくないと思っていてもそれでは生きてはいけない、だから働くしかないと思っているとその時点で非主体的な生き方をしている。
モヤモヤした気持ちで毎日を過ごし、いつもぐったり疲れて家に帰る。
自分の人生はずっとこの状態を継続して生きていくのか?
歳をとって肉体的、精神的に衰えたらこの状態では間違いなく生きてはいけない、それだけは確信を持って言えるのでその思いから一人空回りして時間を浪費する自分がいる。
そして負のスパイラルにハマっていく…。
多くの人間は本心の自分の声を聞いていない、聞かないようにしている気がします。
皆苦しいのに自分を圧し殺して疲弊しながら毎日を送る。
日本は特に空気を読むことに意識を向けすぎなのではと思います。
確かにそれがおもてなしや、日本人ならではの人に対する思いやりがあることは素敵なことだと思います。
しかし、空気を過剰に読んでしまう場合がある。
そうなると自分で強迫観念に苛まれ自分を見失う。
こうなるのは精神的弱さや自分に自信がないことで大きく影響を受ける。
自分に軸をもって生きることで心の地盤を固めることになり、精神力も自然とついてきます。
軸を持つ、それは自分の望む生き方にしっかりフォーカス当てるということ。
自分はどういう人間として生きていきたいのか?
でも若いうちにはそれがわからない、そもそもそんなことを考えたことがないかもしれません。
でも自分の経験上これは断言できます。
自分の心の声を聞かず生きていると自分を見失います。
ひたすら時間に追われる日々を過ごすようになり、物事の考え方も自分目線ではなく世の中の価値観や風潮から考え判断するようになります。
そして判断を誤るようになります。
とりあえずそれなりの所に就職して結婚もして、子供もできて毎日が幸せであると感じる。
それが心から喜べるものであるならば問題ないです。
でも周りと自分を比べて充実感を計ったり、周囲の価値観に影響されての結果ならば遅かれ早かれ自分の心は悲鳴をあげます。
色々幸せであったと思ったものが、逆に色々抱えすぎて苦しく感じることがあるのです。
私の職場ではそんな人が多くいます。
家庭を持ち、家も建ててそれなりの幸せを手に入れているように見えます。
しかし彼らの目は死んでいます。
その人たちからの発言は会社に対する愚痴が非常に多いことです。
私はその人から結局幸せなのですか?とダイレクトに聞きました。
返ってくることは同じ、「まぁ家庭と仕事も大変だけど、子供の成長を見てたらとりあえず俺は幸せだったのかなと思う」。
失礼ですが、絶対にこういう人生を歩みたくないと思いました。
子供ができると親としての心が芽生えそこに気持ちがフォーカスしてしまう。
自分より子供を優先的に考える。
それは親として当然のことなのですが、自分の生き方に軸をもっていないと苦しみが沸き上がり、子供の前では言わずとも陰では愚痴ばかり言うような人間に陥ります。
それは自分の生き方ができていないことで不満が当然ながら溜まっているのです。
そして非主体的な生き方をしていて、働きたくはないけど家庭があるからという状態に陥るのです。
だから家庭を持つ前の自由がきく独り身の段階で、自分の本当に望む生き方や、どういう人間としてありたいか?をしっかり掘り下げて気づかなければなりません。
一人は確かに孤独を感じるものです。
親元から離れて一人暮らしをして社会人となると、忙しくて疲れて会社と家の往復の日々になりがちになるかもしれません。
そうなると人は不安を抱き、その気持ちが増幅し孤独を感じて恋人や友達と一緒にいたくなります。
でもそれはその場しのぎ気休めでしかなりません。
やはり自分と向き合うしかないのです。
孤独を感じ、一人でいる時にこそ自分の心の声を聞いて気づかなければなりません。
それによって今後の人生が大きく変わると思います。
最初の段階で自分の生き方に気づきができてそれに近づけることで自分の人生に軸を持ちます。
そしてそこにフォーカスして結果をある程度を出したあとに家庭を持つようになればまさに理想的と言えます。
子供を育てていく視点も大きく変わると思います。
子供からすれば自分の生きたい生き方をできている親は素敵でかっこいいと感じますし、目標とするかもしれません。
そういう親であれば子供にただ勉強を強制したり、世の中の価値観を押し付けたりしません。
だから子供はのびのびと生き、人格が養われて個性が育まれ、魅力的な人間へと成長するのだと私は思います。
常に緊張や張り詰める環境では本来持っている才能を開花させることはできません。
それは親も子供同じ。
大分話が派生してしまい、長くなってしまいました。
私の悪い癖です。
まとめます。
自分のエネルギーを注いでいける何かを見つけ習慣化する、そしてそれを効率化していこうと人間は自然に思考を働かせ、客観的思考力が養われるようになる。
この客観的思考力がより成長していくと、己の生き方あり方に気づきを与えてくれるようになる。
その生き方在り方に沿った人生こそが本来の人生の始まりである。
若い時期に早めにこの行動を起こしてください。
ある程度歳をとってしまうと思考も体力も衰えてしまい更には自分に都合のように言い訳を考えて物事を諦めるようになってしまいます。
また、家庭を先にもってしまうと自分の優先順位が下がってしまうので動きづらくなってしまいます。
私は本来の自分の人生の方向性に気づくのに大分時間を浪費してしまいました。
猛省に猛省で境地であります。
だから今は、時間は有限ということを嚙みしめて生きています。
まだ独身の身であったことで自由はあります。
今まさに自分の転機となる時であると感じているので、しっかり主体的な生き方をして行きたいと思います。
皆様も自分の心の声を聞いて本来の自分を取り戻し、進むべき道を見つけて進んでください。
私は一人の実験体となって自分を取り戻し、理想とする環境の構築を目指していくこの物語を今後も記事として挙げていきます。
少しでも役に立てればと思います。
では今回もありがとうございました。