限界の境地に立っている
私は前の記事にも言っておりますが、何としてもサラリーマンから抜け出したいと思っています。
今の会社に11年間勤めてきて色々と自身の改善を計ってきましたが、それでも現段階において会社の中で働く環境から抜け出したいという変わらない思いがありました。
日を追うごとにその気持ちは強くなり、ここ最近ではその気持ちが急加速に強さを増し、冷静な自分と感情的な自分との葛藤が続いております。
それはまるでアレルギー反応の例えにある、1つのコップに水が徐々に溜まり、ついに今溢れそうになろうとしている状況です。
このまま今の状態を続いていれば、近いうちに自分は廃人になる。
身も心もボロボロになり、更には惨めなことに自分で自分の命を絶つ余力もなく、結果、親や身近な人に迷惑かけることなると言うことが自分でも容易に予想できます。
絶対それだけは避けたい、それこそそうなったら死ぬべきだとは思っています。
死ぬのはよくないと言われることではありますが私は否定的で、時として生きていてどうにもならないこと、生きていることが地獄だと思えて仕方がないことなど、人によってはそうやって窮地に立たされ勢い余って命を絶つ人がいるのは事実です。
日本は自殺者が多いと言われていますが、確かにちょっと油断すればそれがもとで転落する人生などそこかしこにはらんでいると思います。
ゼロサムゲームと言う言葉がありますが、勝つ人がいれば負ける人が同じくしている。
世の中はこの法則にある程度当てはまっていると思います。
人生が上手くいって毎日が楽しい人、人生が毎日辛くて死にたいと思っている人、極端な例えではありますが根本的には真理だと思います。
しかし人は人と支え合うことでその境地から乗り越えて救われる人もいます。
でも孤独な人は自分の心が崩壊すれば、そこで死を選択する人もいるでしょう。
私は孤独を感じています。
心が絶望を感じているときは、生きている喜びや意味を感じなくなります。
365日あると実に9割は憂鬱で落ち込んでいたり、絶望を感じていることでしょう。
思えば33年生きてきて心から喜べることなんてあったのか?、それも人が喜ばせてくれたのではなく、自分が何かを達成したり、良い評価を受けたりといった成功体験のようなものがほとんど記憶にありません。
たぶん学生時代はいい思い出がなく、忘れたいことばかりであったので同時に良いことも忘れてしまったかも知れません、というか記憶を封印したのかも。
友人から昔のことを話していると色々な記憶を思い起こされ、自分ではまったくもって忘れていたことに驚くほどです。
話がそれました、私は常に孤独を感じており、今は大分落ち着いてきていますが社会人になって両親が父親の実家に戻るとのことで、自分は両親と住んでいる市内で一人暮らしの住まいを探して一人暮らしをしなければならなくなり、その時は絶命を感じて一人暮らしが始まってから常に孤独に苛まれていました。
しかし、休日は人と遊ぶより一人でいる時間が好きで、孤独を感じていながらも自分の世界に浸っていたいという何とも矛盾な人間です。
つまりはほどよく人付き合いをして孤独でない安心感を感じ、心が和らいだことで自分の世界にいたいのです。
休日の日は家で一人本を読んだり、趣味のアクアリウムをやったり、体を鍛えたり、誰にも邪魔されず自分の思うがままに生活するのがとても幸せです。
そして孤独を感じることは精神の未熟さでありそれは自分の進む世界に真剣に没頭していないからだとか、そもそも人間は孤独を感じる生き物であり、誰しも死ぬときは人間は一人であるということを本やユーチューブを通して知り、そこで更に自分の世界に真剣に向き合う時間を増やそうとしました。
そのため社会人になって休日は友人から飲みの誘いや遊びの連絡があっても断ることが多くなりました。
そうしていくうちに連絡をしてくれる友人が減っていき、今では片手で数えるほどしかいなくなってしまいました。
学生の頃はなんだかんだでそれなりに友人には恵まれていました。
幼稚園児から家族ぐるみで付き合いのあった幼なじみ、中学校時代にゆういつ趣味のあった友人、高校時代にサークル活動をして付き合いがずっと続いた仲間たち、大学時代のゼミの人たち、皆連絡をとっていません。
というか携帯電話を何度か水没させたり、故障したりして電話長から消えてしまって連絡手段がなくなりました。
しかも自分でアドレス変更したり、機種変更して電話番号も変わり向こうからも連絡ができない状態を作り出してしまいましたw。
今はまさに孤独を感じる条件は整いました。
でもこれで良かったと思います。
思えば友人付き合いもイライラすることも多く、遊んでいてもこれでいいのだろうか?、と言う気持ちが常に付きまとっていたからです。
私にはなにか成すべきことがあるのではないか?と思い悩み、だからこそこのままではいけないという思いも同時に高まっていたからです。
自分が最終的に望んでいることそれは、大自然の環境の近くで生活をして、静かに読書をしたり、武術の鍛錬や気功など仙人的なことをして、経済活動的には利益にならないことをやって生きていきたい。
会社員として生きる枠組みから外れて自分一人か、パートナーと自然の豊かな環境で生活をして、たまに都会の様子を見に出かける生活スタイルが理想的と思っています。
しかし、今現状はそれと程遠い。
まずサラリーマンを辞めたい気持ちが一番強いが、まだそれができない。
個人で生活できるためのスキル、資金がなければサラリーマンを辞めて食べていくことはできない。
私は一つの会社で11年間勤めてきても全くもってスキルがないためにここをなかなか突破できずにいます。
もちろん私の努力不足でそうなっている現状は言うまもでもありません。
11年間働きたくないという葛藤で苦しみ、嫌々働いてきた非主体的な取り組み方では何も成すことができないのは当然の報いで、自分もそれは十重に感じて反省しています。
11年間勤めてきたのであるならば貯金していればかなり貯まったであろうし、それこそ投資で稼いでいきたいと現状考えているならばなおそうすべきであったのです。
未熟者であった私は仕事のストレスで、給料の大半を趣味にお金を浪費してしまい大した貯金はありません。
しかも最近では貴重な貯金をFXでかなり溶かしてしまい絶望的です。
でもだからと言ってこのままずるずるとサラリーマン生活を続けていくのは、もう精神的に限界がきています。
今までの人生に猛省して倍速でこの問題の解決に取り組むしか道はありません。
とりあえず今は何とか、「人生の目的と希望」たるものが少しは見えているので、あとはそこに進んで道を開いていけるように残された時間と体力で頑張るのみです。
しかし、しかし、本当にその「人生の目的と希望」というものに気づくまでに時間を使い過ぎた......。
私はとてもマイペースな人間で、11年間経ってようやく人生の目的と言えるものが見えてきたのです。
最近はユーチューブを通して色々な人が情報発信をしています。
たくさんの情報が簡単に手に入る、それがどんだけ重要でありがたいことか痛いほど感じます。
学生時代、社会人の初めはまだユーチューブやネットなどが、あまり今ほど発展はしてなかったのもあり言い訳ではありますが、世の中の真実を理解することができなかったのです。
現在、情報発信の分野はたくさんあるだけに、だまされる危険性もはらんでいますが、本当に有益な情報を発信している人もいます。
私には3人の尊敬すべき人がいます。
わたしは一人のユーチューバーで「うつさん」という方がいて、この人が「人生の目的を見つけなさい」ということを強く伝えていて、このことの意味と重要性を理解したことで自分の本来あるべき姿に気づくことができました。
うつさんと言うかたはIT業界のトップに君臨されていたようで、また面接官としての経験もあり、就活においての本質的な取り組み方を教えてくれます。
「人生の目的」とは自分が進みたい方向性のことで達成できるものではない、目標と言うのはその方向性の段階にあるものを指す。
30を過ぎて今一度自分自身と向き合い、ようやく心の求める方向性に気づけたことが、私に大きな希望と救いをもたらしてくれました!
あとスカイプで学生、社会人に人生やキャリア相談のアドバイスをしていて、それをユーチューブでライブ配信していて、その時に転職について悩んでいる方にある言葉を伝えていたのが自分にも胸に突き刺さるものがありました。
その相談をしていた社会人(確か20代女性)の人が、現職が給料は良いが自分に環境が合わず悩んでいて、転職活動をしていて一つ内定は決まりそうだが、今より給料が下がるのでそこがネックでどうするか悩んでいたというような内容です。
その時うつさんは「苦しい思いで得られる30万より、楽しい思いで得られる20万の方が良いんじゃないのか?」と言っていました、自分はこのことにハッとして知らず知らずのうちに自分の心の本心を聞いていないのだと気づきました。
世の中的な高ステータスなことは本来自分が憧れたりするところであるのだろうか?、と改めて考え今までの周りの意見や社会的常識に自分が洗脳を受けていたことに気づく大きな要因となりました。
そうしてもう一人「与沢翼」という革命児とも言える実業家の方。
私は大学時代に与沢さんのことを知り、最初は成金の人かと思っていて到底受け付けないものでしたが、時10年近くの歳月を得てたまたま与沢さんが成功論について話している動画がユーチューブであり(恐らく違法で勝手に動画アップされいていたものかと)聞いてるうちに、どんどん引き込まれていきました。
この人の発言には無駄がない、適当なことは言わないのとはっきり物事の真理を教えてくれる。
確かに色々と賛否両論が分かれる方ですが、最近は自身の今までを猛省してその中で物事は違えど、成功における本質の部分を話してくれているのはそれだけで大いに価値があると思います。
多くの経験と失敗から物事の本質を理解した方の発言は重みが違う。
そして何よりも彼独自の生き方や、現在のほとんど必要外の人間関係をもたず、「個」を確立して生きている姿にはとても憧れます。
私がまさに求めている生き方をしている方で、目標とする方です。
彼のような人がいる、そして今はご本人自身がユーチューブを通して自身の成功のプロセスを親切に話されていて、とても勇気とやる気をもらえて私の行動の大きな原動力となっている存在です。
最後にもう一人「大愚和尚」と言うお坊さんで、経歴に実業家、空手家、セラピストなどいくつもの顔を持つ異色のお坊さんです。
この方は会社を設立し社長として1つのグループ団体を築き上げた実業家の方です。
そして後任ができたら会長に席を移し、自分は実家のお寺を継ぎお坊さんとして新たにご活躍されている方です。
経営者としての実績があり、ただ仏教の教えを説くのではなく、現代人に合わせた教えに変換して分かりやすく教えを説く方で、何よりも色々な経験をされているので知識も多く、ビジネス的な内容の問題解決についても話せるのがただのお坊さんと圧倒的に違うことです。
お坊さんになってから活動されている大きなこととしては、運営サイトからお悩み相談を受け付けておりメールをもらった人からのメッセージを読み、一問一答形式でそこから大愚和尚様が自身の経験と仏教の歴史を踏まえて、人生の処方箋をお伝えすると言うスタイルです。
この方もユーチューブを通してその方の存在を知りました。
丁度この人の存在を知ったとき、自分は鬱になるかもしれないと思えるほど精神崩壊をきたす寸前であり、その時の動画では実際に鬱になった方にたいしての処方箋を説いていました。
それは鬱になってしまった場合、まずは一つでもいいので行動を少しするということ。
少しづつできることを増やしていき、そうしていくうちに自分自身に自信を取り戻して、気づくころには時間が解決して鬱から脱却できるということ。
完璧主義で自分がやらなければならないことが思うようにできず、勝手に自信損失になっていく私にはとても良く効いた処方箋でした。
以降この方に救いを求めてたくさんのお悩みに処方箋を出している動画を見させていただきました。
それによって物事の基本軸を理解して判断ができるようになり、思考の改善に大きな変化をもたらすことができました。
以上の3名の方が私にとって最も人生観に良い影響をもたらせてくださった方であり、ここから今一度人生を振り返り反省をして、進むべき道が見えたことで自分自身の「人生の目的と希望」の再構築を促すきっかけとなりました。
私は知らず知らずのうちに親を含め、身近な人の言葉や環境に洗脳を受けてしまい、世の中的な正しいことを基準に物事を考えていました。
だけど自分が芯から望んでいないことは、自分のような行動力の低い人間には絶対物事は成就しませんし、時間と体力を浪費するだけです。
今は自分の芯から望んでいること「大自然近くで静かに暮らし、自分の本当に好きなことでしていく」に向けて注力を注ぐだけです。
今後、そこに至れるよう自分のやることを記事にアップしたいと思います。
今回は大分熱が入って記事を書きました。
それだけ自由を求める気持ちは強いです。
はたしてそれが可能となるかは自分の努力次第ではあります。
同じように自由になりたい、サラリーマンを辞めたいという方がこの記事を見ていてくださったのなら、一緒にその思いを叶えていきましょう!
また私のような社会的弱者どうなっていくか見て楽しんでください。
自分は何もできないですが、このブログを始めたのは同じような境遇や気持ちの方がいたら、何かお役に立てたらばと思って書いています。
とにかく今はサラリーマンを辞めたい!この気持ちが強く、精神、体力ともに限界が近づいていますが、一応サラリーマン脱出計画はあります。
ゲームオーバーになるか、脱出成功か?、今後の動向を楽しんでくださいw
ではこの辺で、乱文失礼いたしました。