ヒデスのブログ

人生33年目にして再スタート rの住人を目指す愚か者の記録

脱サラ計画始動開始

ブログを書くペースが遅くなっています。

 

 

 

文章を書いているとついつい長くなりがちで、まとまりもなく、本題から脱線しがちなのでこれからは、なるべく名良貫徹に書ければと思います。

 

 

 

さて本題に触れます。

 

 

 

私はブログを始めるにあたって自分に考え、行動を発信していくことを主体とし、その行動の一つとして「脱サラ」についても大きく取り上げていきたいと思っています。

 

 

 

過去の記事でも脱サラを計画していることは書きました。

 

 

 

私は人にコントロールされたり、支配、干渉されることが何よりも嫌いであり、そこから全て開放されなくては本当の自分の生き方は出来ないと思っていますし、死ぬ時に自分の人生に納得をして死ぬことはできないと思います。

 

 

 

だからこそ脱サラしなくてはいけない。

 

 

 

私は働きたくないわけではない、人に指図されたり、無駄に気を使ったり、自分を殺したりする環境で経済活動をしたくないのです。

 

 

 

フリーランスの環境で生きていくのは、自分という人間にとっては最高だと思います。

 

 

 

無論、きびしいことであるのは承知。

 

会社に依存して生きていた方が楽であるのも事実。

 

それに取り合えず給料はもらえるので安定はしています。

 

 

 

しかし、経済面で安定を求めることで、心の安定は失うのです。

 

 

 

人それぞれであるとは思っていますが、少しでも休日の終わりの日に「明日から仕事か...嫌だなぁ....」と思ったら、その時点で自分の生き方を考え直すべきであると思います。

 

 

 

そう思っている時点で主体的な生き方は出来ないし、そうなるとずっと人生をさまようことになります。

 

 

 

 

 

とにかく私は脱サラに向かって行動します!

 

 

 

その為の準備期間として今のサラリーマン生活があると思っています。

 

そう考えれば辛くしんどいサラリーマン生活も、過去の黒歴史として考えられるでしょう。

 

 

 

 

 

では脱サラ計画はどうするべきか?

 

 

 

ここをしっかり掘り下げて考えていかないと脱サラは夢物語で、無駄に時間と精神を浪費することになります。

 

私は自分がコミットできるもので、経済的にメリットのあるものを考えました。 

 

その為に自分の特性を理解する必要がある。

 

自分は物事を俯瞰してみたり、分析するのが好きです。

そうして思い立ったのが、分析したり、自己完結の終われる、「投資」の世界でした。

 

投資の中でも少ない資金で始められる「FX」に興味をもち、とりあえずやってみることにしました。

 

副業が禁止されている今の状況では投資は副業に値しないので、FXをやる以外に他はありません。

 

過去記事にも書きましたが、私はFXをやっています。

 

ずっと負けてばかりでしたが、最近ようやく勝てるようになりました。

 

 このFXを主力にお金を稼いでいきたいと思っています。

 

今のFXで勝率を上げ、月単位で確実に利益を出せるようになったら資金を更に投入し、3ヶ月連続して現在の給料を上回ることができたら、退職する方向に動きたいと計画しています。

 

そしてリスクを抑える為に、現在住んでいる借家よりもっと安い家賃の借家へ引っ越して生存率を上げたいと思います。

フリーランスになると信用がないので、会社を辞める前に引っ越しを計画します。

 

FXの成績ですが去年はFXは負けに負けてしまったので、仕切り直しとして4月から新たにFX口座を開設して20万の資金を投入し取引を始めました。

 

軽く時系列で

 

4~5月の間で31万まで資金を増やす。

6月始めで10万の損失。

しかし、一週間以内で8万の利益を出し、29万となる。

7月に入り4万の含み損をかかえる。(現在)

ここからポジションを無事に生還できるかが今の課題です。

 

FX相場で何より感情的に金銭欲にならずにトレードすることを意識したいですが、今回含み損を抱えているのはチャンネルラインの引き方が間違っていたために、間違った所でエントリーしたあとで気づきました。

 

こういった何気ないミスが専業トレーダーになるうえで死活問題になるので、もっと慎重になるべき課題だと思います。

 

そして専業トレーダーになるべくスキルを上げる努力をしつつ、節制もしっかり行い、軍資金も貯金も貯めていきます。

 

あと専業トレーダーはメンタルやリスクの面からも辞めた方がいいとよく言われます。

兼業トレーダーになった方が経済的な安定は保てるので、そういう観点からも冷静なトレードが行いやすいと言うことです。

 

私もそれは一理あるとは思います。

特に弱小トレーダーが投資一つで生きていくのは危険だと思いますし、そもそも投資は生活していくための経済活動の主軸で捉えるべきものでないことは重々承知済です。

 

だからと言ってこのまま現職で働き続けることは、それこそ精神の崩壊に繋がりメンタルがどうだとか言うレベルの話ではなくなってしまうので、人間関係に悩むことの多い仕事先に行ってお金をもらう労働スタイルは避けたいと思います。

 

理想は在宅ワークができれば良いのですが、中々収益の良い在宅ワークはスキルのない私には厳しい世界です。

 

なら結局投資の世界しかないと言うループにハマりますが、今こうやってブログを書いていることで将来の自分への投資のつもりで書いています。

 

自分自身の価値を上げることができれば情報発信して食べていける。

 

しかし、こんな弱小の私に価値があるというのは多いに疑問ではあります。

 

私が情報発信していけるもの、それは自分自身の独自性ある考え方、生き方、見方をお伝えできればと考えています。

 

色々人とは違う世界観をもって生きてきました。

 

これをもっと広げ極めつつ共有できればと思います。

 

金に目がくらむような生き方はしたくないので、しっかりブログを見てくださる方へ本気で発信して行きたいと思います。

 

仕事を辞めて専業トレーダーになる間、しっかり情報発信の部分も成長して行けるよう邁進します。

 

 

こう考え計画すると本当に無駄にできる時間がないものだと感じます。

 

 

 

また話がグダグダになりそうなのでここまでと致します。

 

専業トレーダーから変わり、投資と情報発信、二刀流でフリーランスの道を確固たるものとしていけるよう突き進んで参ります!!

 

 

煽りではないのですが、サラリーマン生活に疲弊している方へ私はメッセージを書いています。

 

私はヒーローでも救世主でもありませんが、同じように苦しんでいる方を少しでも解決策となるような情報を発信して行きたいです。

 

私がもしサラリーマン生活をはれて辞めてフリーランスで不自由なく生きていけたら、皆さんも私のやってきたことをより効率的に行えば更に上の世界へ行けると思いますし、調子に乗っている発言かも知れませんが私が皆さんの橋渡し的な存在になれれば幸いです。

 

私は長生きして平凡な生活がしたいわけではありません。

 

自分らしく自由気ままに生きることが好きなのです。

誰の干渉も受けないしこちらもしない。

 

自由に空を飛んで好きな場所に行く、そんな生き方が理想です。

 

もし少しでも共感出来たら私と一緒に脱サラを目指しましょう!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中国武術の権威の復興を目指す。 

中国武術、昔はアクション映画の中では華麗に中国武術を使い戦う中国人がベターであり、人々の目には中国武術は凄いと言うイメージを植え付けられてと思います。

 

私の世代ではジャッキーチェンが活躍していて、アクロバティックな動きがとても興味をそそり、面白くも強いのがツボでした。

 

ジャッキーの代表作と言えば「酔拳」だと思いますが、私は特に2作目のラスボスのテコンドー使いとの一戦が好きでよく見ていました。

 

テコンドー使いの派手な蹴り技に対して、アクロバティックかつコミカルな動きで戦う酔拳使いのジャッキーがとてもかっこよくて何度も戦闘シーンを見ていました。

 

そして時代は少し進み、リーサルウェポンと言うメルギブソン主役のアクション映画(1~4作続いた)が私は好きで見ていたのですが、4作目に出てきた敵役のジェットリーの強さが半端ではなく見ていて圧倒されていました。

 

 

とにかくメルギブソンと相棒の黒人の方が二人でジェットリーに戦いを挑むも、ボコボコにされる様は当時の自分にとっては衝撃的でした!

 

「こんなにも中国武術とそれを使う中国人は強いのか!?」と

 

 

私は学生時代に完全にカンフー映画の虜となっていた私は、強くなりたいと言う執念にも似た心から中国武術を習いたいと思います。

 

しかし、日本で中国武術を教えている道場や教室を探せど、中々,本物と言える指導者に出会えず時間を浪費してしまい途中で断念します。

 

テレビでは異種格闘技として「中国武術VS空手、ボクシング、総合格闘技」など、中国武術家が格闘家と戦う企画があり、とても子供心を奪われた記憶があります。

残念なことに結果はどれも中国武術家のほぼ一方的な負けであり、ほとんどが1ラウンドもたなかったのでは?と思います。

 

 このことに私は状況が呑み込めず、事実を素直に受け入れられませんでした。

 

映画ではあんなに華麗で強かった中国武術家達が、現実の試合では何とも不甲斐ない結果であり、このギャップの差が大き過ぎて呆然としていました。

 

そして月日が流れることにより中国武術4000年と神秘のベールで包まれたものが、世間ではいつしか「中国武術=最弱」と言う扱いを受けてしまい、中国武術最強は幻想とされてしまいます。

 

中国武術は演舞において派手な動きや奇抜な動きなものが多く存在し、映画のような世界ではうまくハマったのかもしれません。

中国人の方の発想や考え方はとても奇想天外であり、驚かされるものがあります。

それが武術の置いてもよく表されていると思います。

動物の動きを真似て戦ったり、酔ったように戦ったり、気を用いて戦ったりと、中国武術ほど魅力に富んでいる武術はないと思います。

 

しかし、現実的に実戦での結果を見れば所詮まやかしだったのかと思われてしまします。

 

ですが私は中国武術は決して使えないものではないと思います。

ただ習得に時間がかかるのです。

 

格闘技は身体能力によって習得の差が大きく出てきますが、中国武術は技術を習得するべくひたすら鍛錬に重ねなければなりません。

中国武術の種類にもよりますが、10年かかるものもあれば20年、30年と途方もない歳月を要するものがあります。

 

技術を用いて体格的、身体的不利さを補うものですから、それゆえに時間はかかるわけです。

更には武術に特化した体の開発も行い、特に体幹を鍛えることを徹底とし、インナーマッスルが発達するには時間がかかります。

 

格闘技の世界では技術はありますが、それよりも身体能力や体格的要素が大きな要素となります。

武術は持って生まれたものが優位性決めるような単純な世界ではありません。

それこそ技術で身体的不利さを補うものですから、小手先の技術ではありません。

 

こういうと格闘技は小手先の技術と聞こえてしまいますが、全部がそうであるとは思っていません。

それでも格闘技は階級別に分ける必要性のある世界なように、根本的に体格差に対抗できる技術というものはほとんどないためであるからです。

 

武術は弱い側の人が使える技術でなくてはいけないと言うのが根底にあります。

 

そして中国武術においてはその技術に富んでいると私は実感しています。

 

私は「形意拳」という中国武術を習っています。

形意拳は翻浪勁(ほんろうけい)という縦回転による打撃行います。

普通格闘技では腰を横に捻ってパワーを生み出しますが、形意拳は縦に波のようにエネルギーを縦回転させてパワーを生み出します。

 

自分も最初はこの原理がよくわからなかったのですが、鍛錬して2年も過ぎていくとこの仕組みが体で分かるようになり、とても強力であることが実感できます。

 

簡単に言うとこの縦回転によるエネルギーを生み出して拳を打つと、拳がロケットパンチのように飛び出します。

車が全速力で走って急ブレーキを踏むと、シートベルトをしてなければ乗車している人は勢いよく飛び出していきます。それも走っていた、車のスピード=運動エネルギー量、が圧縮されて飛ばされる人に流れていくので、そのパワーは凄まじいものです。

 

つまり波のように縦に回転してエネルギーを生み出し、拳以外の肉体を制止させることで上記のようなパワーを生み出せるというのです。

 

これは本当に力がいらない、体格的な不利さを補える技術の一つだと思います。

 

そしてこの翻浪剄に「気」と言うものも加えて強力な打撃を生み出すので、より攻撃力というか殺傷能力が増します。

 

ここの技術を知っただけでも中国人の思考、発想は素晴らしいものと感じます。

 

ただ翻浪剄の縦回転による打撃は、横回転よって打撃を生み出す格闘技と違い、連打するには難があるということ、ジャブのような探り合いの攻撃方法が行えないので、戦い方としてはカウンタースタイルが多いのではと思います。

 

 

いずれにせよ、形意拳は攻撃力の高い中国武術であり、シンプルな動きで体得していく究極の武術であると私は確信しています。

 

今は良き指導者のもと修行の身ではありますが、一刻も早く習得を目指して、この中国武術の権威の崩壊の復旧を目指す一人となって行きたいと考えています。

 

それには実戦で結果を出さないと誰も認めてはくれないでしょう。

だからこそ近いうちに実戦で中国武術の凄みを伝えていくことを使命として私は生きて行きたいと思います。

 

口で言うのは簡単かもしれませんが、私はいつ死んでも後悔はないです。

過去にずっと悲観的、絶望の中で生きてきた私にとってこの世は正直つまらない世界であり、私の命に価値などは感じていません。

 

大事なのはどういう思いで死んでいくのか?

 

自分の使命に沿って生き、そのために死ぬのなら本望ではあります。

 

人生100年時代と言われているこの世でのうのうと長生きする生き方はしたくない。

健康面に気を使い、死ぬまで現役としてありたい。

 

中国武術は年齢による影響が少ない。

だからそれが可能だし、その素晴らしさを伝えていきたい。

 

 

それなりに格闘技もかじってきた、そして今はこの形意拳という武術を生涯のものとして昇華させ、自分に特化した形意拳に変化させていきたいとも思う。

 

話が長くなってしまった。

 

 

これからは武道家としての側面も持ち合わせながら生きていく。

 

そして中国武術の権威の復興に命を懸けて取り組んで行きたい。

 

中国武術は弱いと思っているそこのあなた!

 

それでも中国武術、特に内家拳の攻撃法をしればきっと驚きと興味を持つはずです!

 

そういう人に形意拳を伝えていく活動をしたい!

それに他流試合もやってみたい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本来の自分を知るためのプロセスとは    個人的な見解

前の記事で筋トレを中心としたトレーニングをしていると言いました。

そのトレーニングは色々と内容を変えたりして行い、もう15年以上続けています。

これが優いつ自分で誇れる所(しょぼい)

でも15年以上続けてきているものがある人って、どれくらいいるのか個人的には気になります。

これを時間の無駄だと思う人もいると思います。

でも1つでもエネルギーを注いでることを習慣化できると、他のことでも何かやろうとするときも習慣化しやすくなります。

物事を成就させたり、結果を出すには習慣化させることが必要不可欠であり、成功における原理原則とよく言われています。


何か新しいことをするときは慣れていないのでエネルギーを多く使います。
ですが習慣化してしまえば、だんだんと要領を掴み効率的にできるようになると感じます。

その効率化を計る時に思考を使うので脳を刺激することにもなり、物事を分析する能力が鍛えられると思います。
物事を客観的に見てどういう特性があるかなど自然に考える癖がつきます。

このことは私の体験談で話させて頂いております。
色々考えはあるかと思いますがお付き合い願います。


自分は筋トレ以外にも習慣化していることがあり、ストレッチ、瞑想、武術の鍛錬、健康に対してルーティンとしている所などがあります。

これらをする時に最初に始めた頃よりレベルが上がり、より効率的に内容の質も上がっています。

分かりにくい文章で申し訳ないのですが、何かエネルギーを注いでいけることを習慣化する、そうして客観的思考力も養えるものと思います。

私はこの習慣化によって得た副産物である客観的思考力が人に対してよく働くようになります。

それは嗅覚のような感じで、その人の第一印象と何気ない行動から、その人の人間性や人格がすぐに頭に浮かび上がってきます。

自分の働く環境では色々な人がいて、異動も多く色々な人を見てきたので人を見ることの目を養えたのもありますが、この人に対する分析の思考がよく働き、人それぞれがどんな行動をするのか予め予想がつき、悪い癖ではあるのですがそれぞれの人がとる行動を予想して自分は行動する癖があります。

そして人がとった行動に対して一つ一つどうしてこういう行動を起こす要因になったのか?、を筋道立ててロジカルに説明ができるので同僚からは驚かれます。

ですがこれが災いして色々と自分の心を狂わせます。

それはこの人に対する分析が自分でコントールできないのです。
自分の意図せずに分析の思考が働いてしまい、その人の対する分析の結果が自分の嫌いとする所があると、それだけでとても嫌な気持ちになり勝手に心が憂鬱になってしまいます。

これで自分が嫌とする所がある人には過剰に反応してしまいに、一人苦しみ仕事を辞めたくなるということが何度ありました。

ですが、これが面白いことに同じように嫌な人に反応することが習慣化されると、そこに客観的思考力が働いて自分がどうあるべきなのかを答えが導き
出してくれるのです。
そして更に精神は自分の奥深くの意識、潜在意識へとリンクさせて心の声と現状の自分の姿のギャップを埋めるべく思考を働かせます。

その時の自分の状況によって違いがありますが、有効な対策を自分に囁きます。
独り言のように自分が自分に話をして問題解決を計り、今後のあり方を導き出す。

自分一人で自分と会話をすると言うと変な奴と思われるかもしれません、私も最初は頭がおかしいのかと思いました。

しかし自分に話かけることで自分を冷静に判断させたり、自分を心から愛そうと思い、更には理由もなく自分を信じることもできるようになりました。

だからどん底な思いに感じていても、必ずもう一人の自分が話をしてきて救おうとするので、完全に鬱になり精神が崩壊するような事態は免れているのです。

前に私には二人の自分がいると言いました。
多重人格とか二重人格などではなく、陰と陽のような二つの相反する心があり、誰しもあるもので特別なものではないです。

この相反する心の声を聞き続けていることで、本来あるべき自分を教えてくれます、世の中の勝手な価値感に縛られずに自分が理想とする生き方を。


自分の声を聞いていなかったときは、今いる会社が待遇やライフワークバランスが良くない為に転職をしようと活動していました。

そして両親が喜び、世間体としても良い会社に勤めたいと考え、転職の準備に備えまた活動もしていました。

しかしその裏では、会社に勤めると言うことの不満があり、早く解放されたいと思っている自分がいました。

そんな表向きの自分と、本心からの自分がチグハグしていて、自分は一体何者なんだ?といつも悩んでいました。

会社に勤めたくないと思っていてもそれでは生きてはいけない、だから働くしかないと思っているとその時点で非主体的な生き方をしている。
モヤモヤした気持ちで毎日を過ごし、いつもぐったり疲れて家に帰る。


自分の人生はずっとこの状態を継続して生きていくのか?

歳をとって肉体的、精神的に衰えたらこの状態では間違いなく生きてはいけない、それだけは確信を持って言えるのでその思いから一人空回りして時間を浪費する自分がいる。

そして負のスパイラルにハマっていく…。

多くの人間は本心の自分の声を聞いていない、聞かないようにしている気がします。

皆苦しいのに自分を圧し殺して疲弊しながら毎日を送る。

日本は特に空気を読むことに意識を向けすぎなのではと思います。

確かにそれがおもてなしや、日本人ならではの人に対する思いやりがあることは素敵なことだと思います。

しかし、空気を過剰に読んでしまう場合がある。

そうなると自分で強迫観念に苛まれ自分を見失う。

こうなるのは精神的弱さや自分に自信がないことで大きく影響を受ける。

自分に軸をもって生きることで心の地盤を固めることになり、精神力も自然とついてきます。

軸を持つ、それは自分の望む生き方にしっかりフォーカス当てるということ。
自分はどういう人間として生きていきたいのか?
でも若いうちにはそれがわからない、そもそもそんなことを考えたことがないかもしれません。

でも自分の経験上これは断言できます。

自分の心の声を聞かず生きていると自分を見失います。
ひたすら時間に追われる日々を過ごすようになり、物事の考え方も自分目線ではなく世の中の価値観や風潮から考え判断するようになります。
そして判断を誤るようになります。
とりあえずそれなりの所に就職して結婚もして、子供もできて毎日が幸せであると感じる。
それが心から喜べるものであるならば問題ないです。

でも周りと自分を比べて充実感を計ったり、周囲の価値観に影響されての結果ならば遅かれ早かれ自分の心は悲鳴をあげます。
色々幸せであったと思ったものが、逆に色々抱えすぎて苦しく感じることがあるのです。

私の職場ではそんな人が多くいます。

家庭を持ち、家も建ててそれなりの幸せを手に入れているように見えます。
しかし彼らの目は死んでいます。
その人たちからの発言は会社に対する愚痴が非常に多いことです。


私はその人から結局幸せなのですか?とダイレクトに聞きました。
返ってくることは同じ、「まぁ家庭と仕事も大変だけど、子供の成長を見てたらとりあえず俺は幸せだったのかなと思う」。

失礼ですが、絶対にこういう人生を歩みたくないと思いました。

子供ができると親としての心が芽生えそこに気持ちがフォーカスしてしまう。
自分より子供を優先的に考える。
それは親として当然のことなのですが、自分の生き方に軸をもっていないと苦しみが沸き上がり、子供の前では言わずとも陰では愚痴ばかり言うような人間に陥ります。
それは自分の生き方ができていないことで不満が当然ながら溜まっているのです。
そして非主体的な生き方をしていて、働きたくはないけど家庭があるからという状態に陥るのです。

だから家庭を持つ前の自由がきく独り身の段階で、自分の本当に望む生き方や、どういう人間としてありたいか?をしっかり掘り下げて気づかなければなりません。

一人は確かに孤独を感じるものです。
親元から離れて一人暮らしをして社会人となると、忙しくて疲れて会社と家の往復の日々になりがちになるかもしれません。

そうなると人は不安を抱き、その気持ちが増幅し孤独を感じて恋人や友達と一緒にいたくなります。

でもそれはその場しのぎ気休めでしかなりません。
やはり自分と向き合うしかないのです。

孤独を感じ、一人でいる時にこそ自分の心の声を聞いて気づかなければなりません。

それによって今後の人生が大きく変わると思います。

最初の段階で自分の生き方に気づきができてそれに近づけることで自分の人生に軸を持ちます。
そしてそこにフォーカスして結果をある程度を出したあとに家庭を持つようになればまさに理想的と言えます。

子供を育てていく視点も大きく変わると思います。

子供からすれば自分の生きたい生き方をできている親は素敵でかっこいいと感じますし、目標とするかもしれません。

そういう親であれば子供にただ勉強を強制したり、世の中の価値観を押し付けたりしません。

だから子供はのびのびと生き、人格が養われて個性が育まれ、魅力的な人間へと成長するのだと私は思います。
常に緊張や張り詰める環境では本来持っている才能を開花させることはできません。
それは親も子供同じ。



大分話が派生してしまい、長くなってしまいました。
私の悪い癖です。


まとめます。

自分のエネルギーを注いでいける何かを見つけ習慣化する、そしてそれを効率化していこうと人間は自然に思考を働かせ、客観的思考力が養われるようになる。
この客観的思考力がより成長していくと、己の生き方あり方に気づきを与えてくれるようになる。
その生き方在り方に沿った人生こそが本来の人生の始まりである。

若い時期に早めにこの行動を起こしてください。

ある程度歳をとってしまうと思考も体力も衰えてしまい更には自分に都合のように言い訳を考えて物事を諦めるようになってしまいます。
また、家庭を先にもってしまうと自分の優先順位が下がってしまうので動きづらくなってしまいます。


私は本来の自分の人生の方向性に気づくのに大分時間を浪費してしまいました。
猛省に猛省で境地であります。

だから今は、時間は有限ということを嚙みしめて生きています。

まだ独身の身であったことで自由はあります。

今まさに自分の転機となる時であると感じているので、しっかり主体的な生き方をして行きたいと思います。

皆様も自分の心の声を聞いて本来の自分を取り戻し、進むべき道を見つけて進んでください。

私は一人の実験体となって自分を取り戻し、理想とする環境の構築を目指していくこの物語を今後も記事として挙げていきます。


少しでも役に立てればと思います。

では今回もありがとうございました。

強い人間になりたい  一人復讐心に燃えるヤバい奴

前の記事で精神を安定させることについて私なりの見解を勝手ながら話させて頂きました。

精神を安定させるには自分の軸となる人世の目的と目標を持つことで、それは心から思うことであることで潜在意識に働きをかけ、やるべきことをルーティン化していく。

そうすることで潜在意識が現状の自分と目的に進んでいる自分、目標を達成した自分との乖離した部分を埋めようと働きをかけて、無意識のレベルでそれを達成しようといくことができる。

その状態になれば精神は安定と言うか、自分のゾーンに入りもはや感情などが入る余地がない状態になる。

これが成功するために精神を安定させる方法であると思っていて、私もそうなるよう日々潜在意識に働きをかけられるように努めています。

これは行動あるのみです。

そしてこのことについては自分のやるべきことについての、言わばモチベーションをコントロールする精神安定方法でした。


ですが、やるべきことに全ての時間を割ける人はその時点で少し成功しています。

そのやるべきこととは自分の理想を叶えるものだったり、はたまた副業だったり色々とあると思います。


今回は本業の仕事環境、学校生活での日常での精神安定の方法について触れたいと思っています。
私目線で非主体的な私の中での個人的な内容なので、まったくそう思わねければこの記事は読まないことをおすすめします。

私は今まで非主体的な人生を歩んでいきました。
その為、学校生活は行きたくないのに無理やり行かされている、そうずっと思って学校生活を過ごしていて、はっきり言って学校生活(小、中、大)はほとんど楽しい思い出がありません。
確かに友達と遊んで楽しい思い出もありましたが、それ以上に嫌なことがあってその良い思い出も上書きされてしまった感じです。

なぜ非主体的だったのか?
小学校低学年の私はとても活発で元気に満ち溢れていました。
その世代まではみんな仲良くして遊んでいるものですが、そこからだんだんと学年が上がってくるにつれて子供は自我を明確に持ち始めます。

ですがまだ客観的思考力に劣るため自分中心に物事を考えがちで、自分の気に入らなことに口を出したくなります。
自然と人の悪口を言ったり、いじめに発展したりとにかく人間の嫌な所が見え隠れし始める時と言えるでしょう。

私は小学校3年生ぐらいまでは楽しかった、しかしそこから同世代に馬鹿にされたり、いじられたりされることがあり、そこから次第に目立つことを恐れて静かにするようになります。
それは幼い頃の私は同世代より体が小さく、また目立つほど色白で、成長するにつれてプクプクと太っていたからです。

その為私は人から目立つと嫌味を言われたり、いじられる、だから隠れるように生きていれば楽だと。

そこから物事の捉え方に否定的で、そんな生き方の自分に当然自身が持てず、より非主体的な生活を送っていく。

そんな生活の毎日だからいつも何か不満を感じて生きていて心から喜べることもない。
親も自分が男の子であるのに、もじもじしている自分を見て「もっと男らしくしなさい、堂々としていなさい」などといったことを自分に言うようになります。

当時の私はがんじがらめでした。
そしてストレスがいつも溜まっていて、反抗期の時には幾度も親と喧嘩になります。
特に高校の時が親との口論に絶えない日々で、今思えば地獄だと思います。


しかしそんな毎日と自分に嫌気がさして爆発する時が来ます。

大学時代にはそれまでの学生活とは違い自由がきくことになって、それにより自分の心の叫びに答えようと思いました。
ずっと今まで目立たず、おとなしくあろうとした弱い自分を払拭し、これからは強い自分であろうと。

その負の感情とも似た思いで私は大学のサークルにあった極真空手部に入部します。
そう、肉体も心も強くなって新しい自分として生まれ変わり、今までの人生をここから塗り替えてやると。

現実と理想は一致しないことが多い。

日々空手のトレーニングで先輩にボコボコされて心が折れそうになる、なんで自分はこんな辛いことをしているのかと自暴自棄になりそうになる。
結局、勇気をもってたたいた空手の門も非主体的な気持ちで練習に取り組むようになる。

ただ空手の練習と並行して個人的にやっていた筋力トレーニングには並々ならぬエネルギーを注いでいた。
2日に一回の間隔で上半身と下半身は日を分けて2時間、長いときは3時間トレーニングをしていた。


筋力トレーニングと言っても、ウエイトトレーニングをしながら合間にチューブを使ってパンチとキックのトレーニングをしたり、有酸素運動無酸素運動が混ざったトレーニングをしていて効率の悪いメニューでした。
筋トレ自体の内容はダンベルで腕周り、胸を鍛えて、腹筋運動、ジャンピングスクワット(60回3セットやった記憶)など

しかし、自分はそんなに知識もないので見よう見まねで行い、何かにとりつかれたように鍛える虫と化していました。

きっと今までの弱い自分を変えたいという強い思いが爆発して、それが止めどないエネルギーとなって自分を奮い立たせていたのだと思います。
そして何より自分は若かった、だからかなり無茶なトレーニングに耐えられたのだと思います。

あまりに過度なトレーニングをして背中を痛めてしまい、ペンを持つこともままならない状態になってた事は何回もあります。

この時の自分はポジティブな気持ちで取り組んでいたのかと言うと、そうではなく限りなく負の感情が先行してただひたすらに鍛えていました。

ただ大学生の時はまだ親元で生活していて、自分の部屋にはエアコンがなかったので、夏はサウナ状態で扇風機をガンガン回して汗だくでトレーニングしてました笑


そんな生活を続けて3ヶ月ですぐに肉体に変化が訪れました。

いつものように空手部でトレーニングをしていると、先輩に自分の変わってきた体つきに驚かれました。
確かに鏡で見る自分は厳つい体つきであり、心なしか顔つきも変わっていたように感じます。

そこで更にテンションが上がりより一層に激しいトレーニングをしていきます。


大学時代はバイトも始め、夏休みには週5でバイトをしています。
最初こそ定時(08:00~17:00)に帰ってましたが、だんだん勤務時間が長くなり8時から19時近くまで仕事をしていました。

バイト先から家は近いので、仕事が終わって家に着いたらすぐにトレーニングを開始して、19時から21時過ぎまでやっていました。

学生なのに勉強よりバイトと筋トレの比率が大きかったです。

当然、勉学に支障をきたし始めたので、勉強にもそれなりに取り組むことにはしていました。

日々の空手のトレーニングで先輩からのパンチを腹に受けるトレーニングをしていたので、だんだん打たれ強くもなってきました。
この腹パンのトレーニングのよる防御力の向上は筋トレだけでは絶対養うことはできないので、ボディーを根本的に強くしたい人には絶対やった方が良いです。
自分でお腹を殴るだけでも効果あります。

空手に置いては大学2年に入って秋ぐらいに辞めました。
憧れて入った先輩が就活期間に入って来なくなってしまい、モチベーションも下がり更に留年している先輩ともめた為。
ですが、逆に開放された気分になってより筋トレに取り組めたと思います。

バイトは4年間同じ所で勤め続け、筋トレ生活も続けました。
バイトも筋トレも風邪を引いて熱があっても続けました。

4年生最後の年末のバイトの忙しいときは、31日に39度の高熱が出てしまい、休憩時間に家に帰って昼をとるも親に止められましたが最後の22時まで仕事をやり抜きました。
スーパーのバイトは年末になると連続勤務と長時間勤務が続き、バイトと言えども激務でした。
正直今の仕事よりもハードで大変でした。
店長も今の上司よりはるかに怖く、見た目は背が高く茶髪交じりで、芳賀健司に似ていて仕事ばりばりパワハラな人でした。

自分が担当していた食品コーナーでそこのチーフがよく怒鳴られていましたし、自分も雑巾を投げつけられた事があります。(地面に)

自分はレジ打ちとか人前に出て仕事をしたくないので裏方の仕事がしたく、裏で品出しやポップ作り、発注などしていました。
しかし、ほどなくして店頭にて商品を安く販売すると言う、朝市というのを開催することになり、店頭に出されることになりました。

大きな声で「いらっしゃいませ!」を言わなければならないので苦痛でした。
テンション低くいると店長に怒鳴られるので、それが怖くて無理して大きな声を出していました。

この大変なバイト生活があったことで今の仕事は体力面ではまだましです。


色々と話が飛んでしまいました。

とにかく私は弱い自分を変えようとして奮闘し、その中で人生も苦しみがあったりして疲弊していきました。

社会人になってより精神的に辛くなり、うつ状態になりかけたて精神科に行って診てもらったことあります。

社会人に10年目を迎えましたが、ほとんどが苦しいことばかりで、心から喜べたことがないに等しい。

それでも何故、仕事を辞めずにうつにもならずまだ働ける気持ちがあるのか?

それは常に自分を強い人間にしたいと言う執念と、もう一つは自分と対話をしていたことにあります。

自分を強くしたいという執念は筋トレのトレーニングに注がれました。

筋トレは今も続けています。
筋トレの種類は減らして、武術のトレーニングを主にしている所もありますが。


このトレーニングをしていたことが何だかんだで心の支えになっていて、取り合えず続けていること物があることで自信になっていたんだと感じます。

人によって様々かと思いますが、自分には二人の心を持った自分がいます。
それは簡単に言うと陰と陽の心の部分を持った自分でしょうか。

うつになったらトレーニングなんてできないですし、辛くて死にたい自分がいても、今日は何のトレーニングをしようか?ともう一人の自分が考えているので、この二つの人格の気持ちがアンマッチを起こしている間は大丈夫です。


筋トレをしなくなっていたら多分、自分は社会不適合者になっていたと思います。

ですので人は生きる上でなにか続けられることがあれば続けた方が良いと思います。
その続けるものは、自分が情熱や劣等感からでもいいのでエネルギーを注いでいけるものがいいと思います。

それが心の土台となり、今後の自分を潜在意識から本来あるべき自分へと変えていきます。
そしてそれは途中で派生して変化してもいいと思います。
とにかく続けることに意味があります。

そしてそのうちそれが歯を磨くように習慣化されます。

モチベーションが良かろうが、悪かろうが続けれるようになります。

ここでひとつ自分自身に対する精神力と忍耐力がつきます。
どんどん成長させて理想へと近づけていけるはずです。

最後に自分との対話ですが、これは本当に辛いときには私は自分自身と独り言のように話をしています。

それは感情的になって理性がきかなくなっている自分を、客観的に見てどうするべきかを自分自身で考えて声にして話しています。

自分を救うのはだれでもない、自分しかいません。

その自分を自分自身で崩壊に誘っては絶対にいけない。
だから最後の砦として自分に話をかけて、無理しなくてもいいし、自分で自分を慰めるときもあっていいはずです。

心が回復するのを待つ、回復したら自然と動ける。

この何か続けることと、自分との対話で自分の心に芯をもって生きることができていると、自分自身の経験から理解しています。


今回も長文で終始まとまりがなく、読みづらく申し訳ありません。

ただ現在、本当に苦しくて辛い毎日を送っている人がいたら、こんな弱小な私でも少しでも役に立てればと思っています。


私の文章は乱文で内容にも面白味もなく、つまらないかもしれません。


でもブログは続けていきます。

自分がいつ死ぬかもしれませんし、悩みは多い、色々と思考錯誤していきそれをここに記録として残していきます。


ありがとうございました。

精神を安定させる方法を模索してみる

前回の記事で私はFXでの失敗から精神を一定に保つ必要があると学びました。

しかし、そんなことは分かっていたはずなのです!

 

でも精神というのは自分が無意識のうちに変化するものであるし、潜在意識と顕在意識が人間には内在していることから、潜在意識の部分はコントロールが簡単ではないためにそもそも機械的にコントロールすることは不可能に近いのでは?、と疑念が沸いてくる。

 

精神が常に一定に保たれているのはそれこそ才能なのかもしれない。

だから肝心の時に力を発揮して結果を出すことができるのだし、自分を信じて突き進むことができる。

悪く言えば、周りなどお構い無しに自分本意に突き進むことができる。

 

普通の人間は何か物事を始めたり、何かを成し遂げようと考えるとき必ずそれについてのリスクを考えたり、メリット、デメリットを考えがちである。

でもそれが自分の行動を躊躇させる足かせになることがある。

 

悩み、考えれば考えるほど、一歩踏み出すことに重みを感じ、少しでも失敗すれば精神がぐらついて悪い方向に物事を考え、たいして行動せずに終わってしまうことが多いはず。

 

自分はまさにこの典型的な例で、今までかなり遠回りをしてきました。

時間を費やせば費やすほど心が病んでくる。

 

それは自分に自信がそもそもないから、自分を信じられていないから、気持ちがブレブレなので何をやっても中途半端で終わってしまう。

 

その悪い積み重ねが自身損失を増幅させ、負のスパイラルとハマっていく…。

 

誰でも自分がどん底と感じていても、這い上がって見せると言う気持ちは少しでもあるはず、最初のうちは…

 

でも負のスパイラルにハマっていく時に徐々に自分の精神における体力が弱っていき、自分を良い方向に変えようとするときには一時の気持ちだけで終わってしまう。

 

続かない…またそれが自身損失し負のスパイラルへと急降下…

 

そして心がいよいよ自分の力でコントロールできなくなり鬱になってしまうのかもしれない。

 

私はちょっとこの手前まで来ています。

 

しかし、ここで泥沼にハマって自分を終わらせたくないと強い気持ちがある。

 

確かに希望は薄い。

人生は詰んでいるのかもしれない。

 

でもどん底に近い所にいるからこそ、逆の発想で物事を考えられることもできる。

 

今回、世の中はコロナでかなり疲弊した。

明るい人生だった人もこの影響で最悪な境地に立たされている人もいると思います。

 

世界全体が暗くなっています。

アメリカの人種差別問題から暴動も起きて、まさに混沌としています。

 

しかし、私は不謹慎かも知れませんが、今回コロナが発生して正直チャンスだと思った。

 

日本企業も大きな大打撃を受け、倒産に追い込まれる会社もあるかと思います。

 

だがコロナによって世間の働き方に改革を促し、日本独自の価値観や世間体と言うものが本格的に崩れ始めている。

 

私はこれを待っていた。

 

日本の世の中の価値観や世間体に縛られ洗脳されていた私は、自分を見失って毎日、右往左往に苦しんでいた。

 

これからは世の中も認めざるを得ないほど「個」の時代である。

 

私は自由に生きたい。

 

何者にも縛られずに自分本意に生きる。

 

それには強力な力が必要だ。

 

だから今それをやっている。

 

今はまだ弱小だ。

 

社会の檻の中で自分1人、煮えたぎるこの「自由」と言う思いを成就させるべく、必ずや必ずや達成させなければならない。

 

そして、同じ思いにある人達に勇気や希望の光とならなければならない使命が私にはある(思い込み激しい)。

 

こんな行動力が低く、自信のない、成功体験の少ない私でも自分が求める世界に到達し、自由に楽しく生きている姿に勇気と希望を与えられるようにならならければならない。

 

本題から外れてしまった…

 

精神を安定させかつ一定に保つ方法。

これにおいてはすぐにできることなどないということ。

 

精神とはすなわち自我であり、日々の自分の生き方の積み重ねで形成され続けるものである。

 

この日々の生活から見直していく必要がある。

 

では毎日気持ちを一定に保って生きるようにすればいいのか?といえば恐らくそうではないと思う。

 

自分をそれを考えて一時期はそのように振舞ったが長くは続かなかった。

そういうテクニックなどの本を読んだが無理だった。

 

前の記事にお話ししたように、各ジャンルの世界でトップに君臨している人は皆、寡黙で精神が驚くほど安定している言いました。

 

何故そうなれるのか?

 

それには自分を潜在意識のレベルまで信じきっているから。

 

顕在意識と潜在意識のギャップが大きければ大きいほど、人は不調和を感じてしまい物事が成就されにくくなってしまう。

 

顕在意識(意識的にコントロールできる意識)で理想とする自分になっているつもりでも、潜在意識(無意識に働く意識)の方が自分に自信がなくてそれを否定してしまっていると理想に中々近づくことはできず、結果的に顕在意識でもそれを認知せざる得ない状態にまでになり何も自分を変えることができないままになる。

 

人間の中にある顕在意識と潜在意識の比率というのは、圧倒的に潜在意識の方が高いようで、海が潜在意識だとすると顕在意識はその海に浮かんでいる小島ぐらいに小さい割合らしい。

 

となると我々の人間の意識を支配しているのは潜在意識となり、自分の今の在り方、姿を形成しているのも潜在意識によるものが大きいということ。

 

むしろ顕在意識すらも潜在意識よって支配されていて、普段意識して行っていることの行動、思考のほとんどが潜在意識による影響なのかもしれない。

 

いずれにしてもコントロールするのは顕在意識ではなく、潜在意識の方をコントールしなければ何も変わることは出来ないのだと言えよう。

 

幸い人間には物事を想像したり、妄想したりする能力がある。

この部分を潜在意識に作用させる方法でアファメーションという方法がある。

 

私は自分の人生が辛くて救いを求めるようにアファメーションに関する本をいくつか読んだことがある。

 

この手の本は色々まどろっこしく書かれているが、ざっくりいうと自分が本当に心からなりたいと思う自分を想像して、それが本当に叶ったように信じてそのように振舞うのである。

 

潜在意識というものは自分が本当に思っていること、本心からそう信じていることを軸に働く性質がある。

 

だからこの方法を毎日特に朝寝床で起きた後、寝る前などの顕在意識が弱まり潜在意識と切り替わるタイミングに行う。

毎日行うことで潜在意識に自分のなりたい姿を刷り込むのだ。

 

潜在意識はその理想が本当だと感じると、現状の自分と理想の自分の乖離した部分を埋めようと働きをかける。

 

そうすることで自分の理想とする姿に近づこうと無意識レベルでそれに伴う行動をしていくことができるようになる。

すなわち自然と自分のゾーンに入って理想に近づこうとする働きが潜在意識によってもたらされる。

 

実はここで話が繋がってくるところがある。

 

それは各ジャンルの世界でトップに君臨している人は皆、寡黙で精神が驚くほど安定している言いました。

 

そう寡黙というのはもはや意識的に行っている状態ではなく、無意識で自分の行うことに集中している状態だと思います。

 

そしてそれに伴って精神も安定しており、物事の成功するプロセスにも利に叶っている状態です。

 

成功している人が皆、アファメーションをしているかと言えばそうではないと思いますが、必ずいえることは自分を信じ切っている、自分自身の潜在意識と顕在意識の乖離がなく更にそれが理想としている自分に意識が向けられているということ。

またその取り組み事が楽しく没頭していることもあります。

 

潜在意識の働く入り口が違えど、最終的には自分の理想に近づくこと、やりべきことに集中してもはや感情に動かされることがない、というか潜在意識という顕在意識より深い意識に入っていて感情というものが入る余地がない状態であること。

 

ここに到達できれば人は精神の統一を計れ、あらゆる物事に対処していけるようになると私は思うのです。

 

しかし、言うは易し、行うは難しで、まずその状態になるには自分のやりたいこと、進むべき方向性に軸を持たなければなりません。

 

先ほど申し上げたように、潜在意識というものは心からやりたいこと、なりたい自分というものでなければ働くものではありません。

 

それをどう探すかは自分との心の対話によって分かるものです。

 

自分の場合は、最初はそれなりに待遇の良い所で休みがそれなりにある会社で働くことが、あとから目標として決めていました。

しかし、そう願ってもやはり会社の中で働くということには心では否定的であり、結果的にそのネガティブな気持ちがあってモチベーションが保てず挫折しました。

 

でもその時に今一度考えてみたのです。

そうすると本心の自分は自由をなにより求めていると気づき、その形がフリーランスとして働いていきたいということになりました。

 

今はまだその状態にはなっておりませんが、そうなるべく目標をもって進んでいます。

だから今は辛くとも心から思える目標により、それが希望となって自分に生きる活力を与えて何とか生きているところです。

 

自分の心に目を向けるには、必ず世の中の基準や世間体という考えを外して見る必要があります。

 

人は知らず知らずのうちに育った環境や周囲の状況に洗脳や影響を受けています。

 

だからそういうのを全部一回取っ払って自分の心に聞いてほしいのです。

 

 

またまた色々なことに話が飛躍してしまいました。

 

 

人のことは言えませんが、皆さん自分の心には正直にありましょう!

 

自分の生きたいように生き、自分の人生を自分色に染めて行きましょう!

 

そこに早く気づき、そしてそうなるべく行動し習慣化すれば、アファメーションを使わなくとも潜在意識に働きをかけ、きっと最短で進んで行けるはず!

 

私もいくつか目標はありますが、一番の目標というか目的である「自由」を探求し、それの実現に向けて進んでいきます。

 

まずはサラリーマン脱出計画を実行して参ります。

 

もし読んで楽しん下さる方がいれば今後ともよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

FXは心を写す鏡である

前に自分がFXの手法めいたことをお話しましたが、記事を書いてる3時に強制ロスカットをくらってしまいました。

強制ロスカットをされる前に、一部含み損のポジションを決済して証拠金維持率が100%を超えて適正アラートになっていたのに何故なんだ!?

4月中旬から5月末で12万円増やしたが、結局16万円の含み損で元本割れ…。

こうもあっさり負けると結局今までの経緯は何だったのか?と怒りがこみ上げてくる。

お金を失っただけではない!
時間も無駄になったと言うことが自分にとっては何よりの損失だ!

しかし、エントリーポイントがいかんせんいい加減だったのは自分で感じている。

両建て方法でトレードしていたが、結果多く含み損をかかえたポジションを増やすことになってしまった。

ユーロ円で取引しているが、月足、週足で見てチャート下降トレンドにあった。
それを踏まえてショート狙いでいたが、ショートでエントリーして上昇してしまうことがあり、その際に様子を見てロングでエントリーして両建てをしていた。
そうすると面白いことに上昇が徐々に弱まっていき、ショート、ロングをした間にチャートが納まってレンジような動きに変わる。
しかしこれは力を溜めていて気付くと一気に上昇か下降に動きを開始する。
その時に含み益を狙って利食いしていたが、どうしてもいくつかのショートのポジションが回収できずにいた。

ユーロ円は長期足で見れば下降トレンドの動きであるから、いずれはショートのエントリー単位に触れてくるだろう、最悪の場合はある程度含み損が減ってきたところで損切りしようと考えていた。
しかしチャート上昇を始めてからなかなか下がることがない、焦りを感じてロングでエントリーしてする。
しかしロングでの含み益を40pipsぐらい得たら利食いしてしまった。
これこそ目先の利益に食らいついてる小物である。

チャートはだんだんと上昇してくる、自分の週足で引いたチャンネルラインではチャートは天井を抜けていたので、もうそろそろ下降してくると見ていたが予想とは打って変わって急上昇していく。
自分は感情的になっていた。
天井を抜けてあとから一気に下降するということは過去チャート見ていて理解していたつもりなので、できれば一番上昇しているところからショートで新たにエントリーしてたくさんの利益を得たいという感情が働いた。
そしてショートでまたエントリーする、がしかしチャートは下がるどころか上昇して、フィボナッチのラインを超えてそこから勢いが止まらない。

やばいと思った私はすぐさまロングでエントリーを試みるが、既にフルレバ状態になっており資金が足らずエントリーできない!
詰んだ.....。

まるでチャートは私に勝利を確信したかのようにゆっくりゆうゆうと上昇していく。
そうこうしているうちに強制ロスカットの連絡がくる!!
期日までに追加金を入金してくださいとのことだが、現在のポジションをいくつか決済すればいいとサイトには書いてあったので、含み損がある程度減るのを待ってから決済しようと考えた。
だがそんな公算甘く、下降するどころか上昇していくばかりで焦った私は一つのショートポジションを決済した。
しかし、序盤で話した通り強制ロスカットを食らってしまった。
証拠金維持率が100%を上回っていたので何故なんだ!!という思いと、4月の中旬からGMOクリック証券で新たに取引して12万ほど資金を増やしたのに、16万の損失になり元本割れという結果に大きな怒りがこみあげてくるものがあった。

この資金を増やした1ヶ月あまりが無駄だったのか?ということに自信損失になりかける。

しかし、この時にゆーちぇる社長というFXの本質について詳しくしっかり解説している一人のユーチューバーさんがいて、私はこの方の有料のメンバーシップに入っているほど信頼している。
この方がある動画を上げていてこの時の動画のある部分が自分自身を見直すきっかけとなった。
それはFXや投資の世界や他のスポーツやすべての世界の一流の人に共通する特徴があるということ。
一流の人は皆寡黙であり、精神がブレない、感情的にならないということ。

投資の世界ではBNFさんという伝説個人投資家がいるが、この方は感情が常に一定であり見方によっては精神に障害があるのでは?と思うほど心に人間的な部分を感じられない。
彼は160万円の資金で株を始めて数年で数百億という莫大な資産に増やしたのは天才という他ならない。
格闘技の世界ではヒョードルという元総合格闘技の世界王者であり、人類64億人で一番強いとされていた最強の格闘家がいる。
彼も一人だけ異質といえるほど落ち着いていて、試合が始まる選手控室でも笑顔を見せたりしていて、他の選手は興奮していたり気持ちが荒ぶっているのに対照的なのだ。

同じ人間である以上圧倒的に優れているということは漫画やアニメの世界の話である。
何が劇的に違うのかというのは精神面の部分が大きいということなのだ。

寡黙にやることに集中していく、その日々の繰り返しでその取り組んでいることが、まるで歯磨きをするかのように当たり前に感じられているほどの精神状態になっているが物事が成就するプロセスであり、自然の法則の因果応報に部分に値するところにある。

人間は弱い生き物である、ついつい自分の都合のいいように解釈したり、妄想にふけってしまう。
その要因として漫画やアニメの世界に浸ってしまうことがある。
しかし空想の世界では悪魔でも視聴者を意識して作られた世界に過ぎないということであり、その世界は現実の世界とは逆の部分があり、乖離していることがあることを理解する必要がある。

私は人生の目標であり、心のペースメーカー的存在でもある与沢翼さんのある言葉を思い出していた。
それは「アニメや漫画、アイドルなど都合よく設定された世界に憧れを抱いていても何も変わらない、リアルに自分の人生を見て生きなければ何も成し遂げられない」ということであり、今一度現実の世界の自分の起きている状況や置かれている状況を見直さなければならないと思いました。


今回FXでの取引における失敗からまさかここまで派生して考えていくことになるとは思いませんでしたが、失敗は成長するための経験値であり、失敗から学んで試行錯誤していくことが現実世界で成功していくプロセスであるということは、与沢さんや色々な素晴らしい方から学んでいたので、ゆーちぇる社長さんの動画をきっかけに冷静に考えていくことができました。

こういう有益な情報を発信してくださる方々に感謝して、自分自身も人々に役に立てるように貢献していく人間でありたい。

そのための一つとしてブログを始めました。

こんな弱小の人間ではありますが、自分にしかない部分を磨いて同じ境遇や悩んでいる方の力になれればと思っています。

まずFXにおいては基本的な所の勉強が不十分ではあるので知識を高め、知恵に昇華させてエントリーにも根拠をもって行うものとルールを徹底する。
根拠が崩れたら躊躇なく損切りするよう機械的に行っていく。
中々難しいことではあるが感情に縛られないことを常に意識する、それだけでなく普段の生活から冷静であるよう心がける。

FXや仕事において冷静で寡黙であれば突破できる。
あと武道家としていきている側面もあるためこの部分は大いに必要なことであり自分の人生には要の部分である。


FXは心を写す鏡である。

お金に欲をかき、自分を見失うか?
一つのゲームとして楽しめるか?
何事も楽しみ取り組む。

そしていつかそれが呼吸するのと同じぐらい意識しないものになれば、既に成功に達成している。

まずは習慣だ、上記に挙げたことを習慣化していく、そして私は変わっていく。

ようやくここから物語が始まる。









具体的にはサラリーマンを辞めて個人で好きなことをして生きていく人生を創設していくことに力を入れていますが、これをブログにて報告していきますのでもし成功してら是非自分のやってきたことをブログ通して見て理解していただければと思います。

あとは武道家として生きている側面があるので、ここの部分も精神面の在り方や武道の素晴らしさを伝えていければと考えております。


しかし、FXとかトレードって本当に心を写す鏡だと思います。

限界の境地に立っている

私は前の記事にも言っておりますが、何としてもサラリーマンから抜け出したいと思っています。

今の会社に11年間勤めてきて色々と自身の改善を計ってきましたが、それでも現段階において会社の中で働く環境から抜け出したいという変わらない思いがありました。

日を追うごとにその気持ちは強くなり、ここ最近ではその気持ちが急加速に強さを増し、冷静な自分と感情的な自分との葛藤が続いております。

それはまるでアレルギー反応の例えにある、1つのコップに水が徐々に溜まり、ついに今溢れそうになろうとしている状況です。

このまま今の状態を続いていれば、近いうちに自分は廃人になる。

身も心もボロボロになり、更には惨めなことに自分で自分の命を絶つ余力もなく、結果、親や身近な人に迷惑かけることなると言うことが自分でも容易に予想できます。

絶対それだけは避けたい、それこそそうなったら死ぬべきだとは思っています。

死ぬのはよくないと言われることではありますが私は否定的で、時として生きていてどうにもならないこと、生きていることが地獄だと思えて仕方がないことなど、人によってはそうやって窮地に立たされ勢い余って命を絶つ人がいるのは事実です。

日本は自殺者が多いと言われていますが、確かにちょっと油断すればそれがもとで転落する人生などそこかしこにはらんでいると思います。


ゼロサムゲームと言う言葉がありますが、勝つ人がいれば負ける人が同じくしている。

世の中はこの法則にある程度当てはまっていると思います。

人生が上手くいって毎日が楽しい人、人生が毎日辛くて死にたいと思っている人、極端な例えではありますが根本的には真理だと思います。

しかし人は人と支え合うことでその境地から乗り越えて救われる人もいます。

でも孤独な人は自分の心が崩壊すれば、そこで死を選択する人もいるでしょう。

私は孤独を感じています。
心が絶望を感じているときは、生きている喜びや意味を感じなくなります。
365日あると実に9割は憂鬱で落ち込んでいたり、絶望を感じていることでしょう。
思えば33年生きてきて心から喜べることなんてあったのか?、それも人が喜ばせてくれたのではなく、自分が何かを達成したり、良い評価を受けたりといった成功体験のようなものがほとんど記憶にありません。

たぶん学生時代はいい思い出がなく、忘れたいことばかりであったので同時に良いことも忘れてしまったかも知れません、というか記憶を封印したのかも。
友人から昔のことを話していると色々な記憶を思い起こされ、自分ではまったくもって忘れていたことに驚くほどです。

話がそれました、私は常に孤独を感じており、今は大分落ち着いてきていますが社会人になって両親が父親の実家に戻るとのことで、自分は両親と住んでいる市内で一人暮らしの住まいを探して一人暮らしをしなければならなくなり、その時は絶命を感じて一人暮らしが始まってから常に孤独に苛まれていました。

しかし、休日は人と遊ぶより一人でいる時間が好きで、孤独を感じていながらも自分の世界に浸っていたいという何とも矛盾な人間です。
つまりはほどよく人付き合いをして孤独でない安心感を感じ、心が和らいだことで自分の世界にいたいのです。

休日の日は家で一人本を読んだり、趣味のアクアリウムをやったり、体を鍛えたり、誰にも邪魔されず自分の思うがままに生活するのがとても幸せです。

そして孤独を感じることは精神の未熟さでありそれは自分の進む世界に真剣に没頭していないからだとか、そもそも人間は孤独を感じる生き物であり、誰しも死ぬときは人間は一人であるということを本やユーチューブを通して知り、そこで更に自分の世界に真剣に向き合う時間を増やそうとしました。

そのため社会人になって休日は友人から飲みの誘いや遊びの連絡があっても断ることが多くなりました。

そうしていくうちに連絡をしてくれる友人が減っていき、今では片手で数えるほどしかいなくなってしまいました。

学生の頃はなんだかんだでそれなりに友人には恵まれていました。

幼稚園児から家族ぐるみで付き合いのあった幼なじみ、中学校時代にゆういつ趣味のあった友人、高校時代にサークル活動をして付き合いがずっと続いた仲間たち、大学時代のゼミの人たち、皆連絡をとっていません。
というか携帯電話を何度か水没させたり、故障したりして電話長から消えてしまって連絡手段がなくなりました。
しかも自分でアドレス変更したり、機種変更して電話番号も変わり向こうからも連絡ができない状態を作り出してしまいましたw。

今はまさに孤独を感じる条件は整いました。

でもこれで良かったと思います。

思えば友人付き合いもイライラすることも多く、遊んでいてもこれでいいのだろうか?、と言う気持ちが常に付きまとっていたからです。
私にはなにか成すべきことがあるのではないか?と思い悩み、だからこそこのままではいけないという思いも同時に高まっていたからです。


自分が最終的に望んでいることそれは、大自然の環境の近くで生活をして、静かに読書をしたり、武術の鍛錬や気功など仙人的なことをして、経済活動的には利益にならないことをやって生きていきたい。
会社員として生きる枠組みから外れて自分一人か、パートナーと自然の豊かな環境で生活をして、たまに都会の様子を見に出かける生活スタイルが理想的と思っています。

しかし、今現状はそれと程遠い。

まずサラリーマンを辞めたい気持ちが一番強いが、まだそれができない。

個人で生活できるためのスキル、資金がなければサラリーマンを辞めて食べていくことはできない。

私は一つの会社で11年間勤めてきても全くもってスキルがないためにここをなかなか突破できずにいます。

もちろん私の努力不足でそうなっている現状は言うまもでもありません。

11年間働きたくないという葛藤で苦しみ、嫌々働いてきた非主体的な取り組み方では何も成すことができないのは当然の報いで、自分もそれは十重に感じて反省しています。

11年間勤めてきたのであるならば貯金していればかなり貯まったであろうし、それこそ投資で稼いでいきたいと現状考えているならばなおそうすべきであったのです。

未熟者であった私は仕事のストレスで、給料の大半を趣味にお金を浪費してしまい大した貯金はありません。

しかも最近では貴重な貯金をFXでかなり溶かしてしまい絶望的です。

でもだからと言ってこのままずるずるとサラリーマン生活を続けていくのは、もう精神的に限界がきています。

今までの人生に猛省して倍速でこの問題の解決に取り組むしか道はありません。

とりあえず今は何とか、「人生の目的と希望」たるものが少しは見えているので、あとはそこに進んで道を開いていけるように残された時間と体力で頑張るのみです。

しかし、しかし、本当にその「人生の目的と希望」というものに気づくまでに時間を使い過ぎた......。

私はとてもマイペースな人間で、11年間経ってようやく人生の目的と言えるものが見えてきたのです。

最近はユーチューブを通して色々な人が情報発信をしています。
たくさんの情報が簡単に手に入る、それがどんだけ重要でありがたいことか痛いほど感じます。
学生時代、社会人の初めはまだユーチューブやネットなどが、あまり今ほど発展はしてなかったのもあり言い訳ではありますが、世の中の真実を理解することができなかったのです。
現在、情報発信の分野はたくさんあるだけに、だまされる危険性もはらんでいますが、本当に有益な情報を発信している人もいます。

私には3人の尊敬すべき人がいます。

わたしは一人のユーチューバーで「うつさん」という方がいて、この人が「人生の目的を見つけなさい」ということを強く伝えていて、このことの意味と重要性を理解したことで自分の本来あるべき姿に気づくことができました。

うつさんと言うかたはIT業界のトップに君臨されていたようで、また面接官としての経験もあり、就活においての本質的な取り組み方を教えてくれます。

「人生の目的」とは自分が進みたい方向性のことで達成できるものではない、目標と言うのはその方向性の段階にあるものを指す。
30を過ぎて今一度自分自身と向き合い、ようやく心の求める方向性に気づけたことが、私に大きな希望と救いをもたらしてくれました!

あとスカイプで学生、社会人に人生やキャリア相談のアドバイスをしていて、それをユーチューブでライブ配信していて、その時に転職について悩んでいる方にある言葉を伝えていたのが自分にも胸に突き刺さるものがありました。

その相談をしていた社会人(確か20代女性)の人が、現職が給料は良いが自分に環境が合わず悩んでいて、転職活動をしていて一つ内定は決まりそうだが、今より給料が下がるのでそこがネックでどうするか悩んでいたというような内容です。

その時うつさんは「苦しい思いで得られる30万より、楽しい思いで得られる20万の方が良いんじゃないのか?」と言っていました、自分はこのことにハッとして知らず知らずのうちに自分の心の本心を聞いていないのだと気づきました。

世の中的な高ステータスなことは本来自分が憧れたりするところであるのだろうか?、と改めて考え今までの周りの意見や社会的常識に自分が洗脳を受けていたことに気づく大きな要因となりました。


そうしてもう一人「与沢翼」という革命児とも言える実業家の方。

私は大学時代に与沢さんのことを知り、最初は成金の人かと思っていて到底受け付けないものでしたが、時10年近くの歳月を得てたまたま与沢さんが成功論について話している動画がユーチューブであり(恐らく違法で勝手に動画アップされいていたものかと)聞いてるうちに、どんどん引き込まれていきました。

この人の発言には無駄がない、適当なことは言わないのとはっきり物事の真理を教えてくれる。

確かに色々と賛否両論が分かれる方ですが、最近は自身の今までを猛省してその中で物事は違えど、成功における本質の部分を話してくれているのはそれだけで大いに価値があると思います。

多くの経験と失敗から物事の本質を理解した方の発言は重みが違う。

そして何よりも彼独自の生き方や、現在のほとんど必要外の人間関係をもたず、「個」を確立して生きている姿にはとても憧れます。

私がまさに求めている生き方をしている方で、目標とする方です。
彼のような人がいる、そして今はご本人自身がユーチューブを通して自身の成功のプロセスを親切に話されていて、とても勇気とやる気をもらえて私の行動の大きな原動力となっている存在です。


最後にもう一人「大愚和尚」と言うお坊さんで、経歴に実業家、空手家、セラピストなどいくつもの顔を持つ異色のお坊さんです。

この方は会社を設立し社長として1つのグループ団体を築き上げた実業家の方です。
そして後任ができたら会長に席を移し、自分は実家のお寺を継ぎお坊さんとして新たにご活躍されている方です。

経営者としての実績があり、ただ仏教の教えを説くのではなく、現代人に合わせた教えに変換して分かりやすく教えを説く方で、何よりも色々な経験をされているので知識も多く、ビジネス的な内容の問題解決についても話せるのがただのお坊さんと圧倒的に違うことです。

お坊さんになってから活動されている大きなこととしては、運営サイトからお悩み相談を受け付けておりメールをもらった人からのメッセージを読み、一問一答形式でそこから大愚和尚様が自身の経験と仏教の歴史を踏まえて、人生の処方箋をお伝えすると言うスタイルです。

この方もユーチューブを通してその方の存在を知りました。

丁度この人の存在を知ったとき、自分は鬱になるかもしれないと思えるほど精神崩壊をきたす寸前であり、その時の動画では実際に鬱になった方にたいしての処方箋を説いていました。

それは鬱になってしまった場合、まずは一つでもいいので行動を少しするということ。

少しづつできることを増やしていき、そうしていくうちに自分自身に自信を取り戻して、気づくころには時間が解決して鬱から脱却できるということ。

完璧主義で自分がやらなければならないことが思うようにできず、勝手に自信損失になっていく私にはとても良く効いた処方箋でした。
以降この方に救いを求めてたくさんのお悩みに処方箋を出している動画を見させていただきました。

それによって物事の基本軸を理解して判断ができるようになり、思考の改善に大きな変化をもたらすことができました。

以上の3名の方が私にとって最も人生観に良い影響をもたらせてくださった方であり、ここから今一度人生を振り返り反省をして、進むべき道が見えたことで自分自身の「人生の目的と希望」の再構築を促すきっかけとなりました。



私は知らず知らずのうちに親を含め、身近な人の言葉や環境に洗脳を受けてしまい、世の中的な正しいことを基準に物事を考えていました。

だけど自分が芯から望んでいないことは、自分のような行動力の低い人間には絶対物事は成就しませんし、時間と体力を浪費するだけです。

今は自分の芯から望んでいること「大自然近くで静かに暮らし、自分の本当に好きなことでしていく」に向けて注力を注ぐだけです。

今後、そこに至れるよう自分のやることを記事にアップしたいと思います。



今回は大分熱が入って記事を書きました。

それだけ自由を求める気持ちは強いです。

はたしてそれが可能となるかは自分の努力次第ではあります。

同じように自由になりたい、サラリーマンを辞めたいという方がこの記事を見ていてくださったのなら、一緒にその思いを叶えていきましょう!

また私のような社会的弱者どうなっていくか見て楽しんでください。

自分は何もできないですが、このブログを始めたのは同じような境遇や気持ちの方がいたら、何かお役に立てたらばと思って書いています。


とにかく今はサラリーマンを辞めたい!この気持ちが強く、精神、体力ともに限界が近づいていますが、一応サラリーマン脱出計画はあります。

ゲームオーバーになるか、脱出成功か?、今後の動向を楽しんでくださいw


ではこの辺で、乱文失礼いたしました。